よくいうIAMASにはいろんなバックグラウンドの人がいるっていう話。

僕について

 僕はIAMASに憧れを持って学部から直接進学したタイプの学生で、実は在学期間より憧れてた年数の方が長い。順当に卒業できればの話。

 僕のバックグラウンドにあるのはプロダクトデザインエレクトロニクス、コーディング周りの技術で、これは二種類の最終学歴に書いてもおかしくない学校で専門教育を受けたハイブリッド。だから

先端的技術と芸術的創造との融合を理念に掲げ、新しい文化を発信する教育機関として、また情報社会の中での新しい表現者の養成拠点として開学

したIAMASにおいては既に融合しているタイプの人間と言えなくもない。けど言えない。

色々いない

 IAMASはいろんなバックグラウンドの人がいる。というが、実は今年は色々いない

 やたらアートが大好きな人々が10人以上いて、部屋の隅に社会実装系とデザイン(僕)とエンジニアが隔離されている、ように見えなくもない配置で机を並べている。

 授業の内容がアートに偏っているというわけでもないが、やはりアートへの比重は高い。モチーフワークの最後の課題で、4日間で"アート作品作れ"っていう課題が出たりした。アート作品を作る課題は「アートか否か」の文法で語られるのに、コード書く授業でクソコード書いても誰も何も言わない。呆れてるのかもしれないけど。

 デザインに関しては導入科目ではデの字も出ないのでこの小宇宙では生存権がないのか、と思うレベルだった。寧ろクラスメイト達から「デザ科出身は社会のことを何も考えてないカッコつけ野郎」って感じのニュアンスの迫害を受けることもしばしばであるし、デザインの手法は理解できないみたいな人も多い。

 「デザイン的な視点で語ると」みたいなニュアンスでテキトーなこと抜かす人もいる。アートだけどプロダクトだっていう作品のむき出しの歯車に指を挟んだ子どものお母さんに製造物責任法で裁判に呼び出されても僕は知らない。

 でも迫害ではなく、ただ純粋に知らないだけなのだ。

 無知を責めることはできない

僕にはアートが分からぬ。

 さて、デザインを散々disられまくって、でも一緒に言い返す人もいないので正直わかってほしいという気持ちも最早あまりない。僕には逆にアートが分からないけど、分からないことは分からないと言って教えてもらうスタンスで行こうと思う。

 正直モチーフワークの最後は苦しい課題だったしIAMASは所詮メディアアートの学校」だなんて愚痴を溢したりした。あの課題に関して言えば、僕は何も言わずただ手作業する工員と化すべきだったと思う。そうすればグループ的にはいいものが作れたかもしれない。語り得ぬものには沈黙する他ない、ネガティブな意味で。他の課題は自分なりの課題設定が出来て、追求できるテーマだったけど最後の課題だけはそうも行かなかった。

 他の人がデザインに興味がないように、僕からすれば自分の制作物が(誰かのいう)アートかどうかなんて本当にどうでもいい。

 別に作家になりたいわけでもないし、でもなるべくリサイクルできない不燃ゴミ制作物は出さないようにしたい。しかも地球のためではなく、僕がなんとなく気持ちよく眠るため、自己満足だ。でも僕も話に入れてくれ、とは思う。