みえてきたような気がする

 最近自分のやりたいことを徹底的にやれているのでとても毎日が楽しい

 強いていうなら炭水化物、特に焼いたトーストばかり食べていると脚気っぽくなって、昼間に立ったまま眠りの国に連行されそうになるのでビタミンBを摂りたい。ちなみに夜はねんでもいける。

 友人に「ひろくんは体力があるわけじゃなくて気力で押してる」っていうありがたいお言葉を貰った。多分その通りだと思う。やらなきゃじゃなくてやりたいでドライブしている。ここにきてデザイン大好きになりつつある。あとテクノロジーとインダストリアルテクノも

 

 デザインに全振りした僕のIAMASライフは既に1/8が終わっている

 UI/UXまわりを集中してやっていくことにした。これは単純に今までやってきたことの総まとめとしては最も良い材料だと思うし、僕のデザインに対する気持ちを一番直接的に表現できるジャンルってこともある。

 多分デザインは問題解決の手法であり、何かと何かを繋ぐものだと思う。問題と解決策であったり、マシンと人間だったり、デベロッパーとユーザーだったり、或いは僕と誰かだったり。

 最近はエンジニアの友人と一緒にアプリコンテストに出品する作品を考えている。面白いUIをデザインして彼とともに一花咲かせたいし、実は既にそれなりに行けそうなアイデアに到達している。

 某企業と共同研究のプロジェクトの方も一人できついけどなんとかやっていけそうに思えてきた。いえ、やります。ごめんなさい。

 

 でもUI/UXといっても僕はキラキラwebデザイナーにそんなになりたいわけでもない、わけでもないようなそうでもないような。もっと広義にUXという言葉を捉えたいと思っている。つまり画面から出たい

 スマホでは解決しようがない問題にUI/UXの観点から取り組んでいけるんじゃないかと思っている。多分それは今誰かに必要とされていることだし、やるべきことだと思う。行為の起点から終点までデザインし尽くしたい。画面の上を滑る指の動きだけじゃなくて人間の動き或いは生活まで操りたい。世間はやたらイノベーションって言葉好きだけどやり尽くした結果、できたものがイノベーティブだと嬉しい。

 修士研究になり得そうなテーマにもありつけたのであとはフルスロットルで爆走するだけだ。楽しい。そう、楽しい。ただひたすらに楽しい。

よくいうIAMASにはいろんなバックグラウンドの人がいるっていう話。

僕について

 僕はIAMASに憧れを持って学部から直接進学したタイプの学生で、実は在学期間より憧れてた年数の方が長い。順当に卒業できればの話。

 僕のバックグラウンドにあるのはプロダクトデザインエレクトロニクス、コーディング周りの技術で、これは二種類の最終学歴に書いてもおかしくない学校で専門教育を受けたハイブリッド。だから

先端的技術と芸術的創造との融合を理念に掲げ、新しい文化を発信する教育機関として、また情報社会の中での新しい表現者の養成拠点として開学

したIAMASにおいては既に融合しているタイプの人間と言えなくもない。けど言えない。

色々いない

 IAMASはいろんなバックグラウンドの人がいる。というが、実は今年は色々いない

 やたらアートが大好きな人々が10人以上いて、部屋の隅に社会実装系とデザイン(僕)とエンジニアが隔離されている、ように見えなくもない配置で机を並べている。

 授業の内容がアートに偏っているというわけでもないが、やはりアートへの比重は高い。モチーフワークの最後の課題で、4日間で"アート作品作れ"っていう課題が出たりした。アート作品を作る課題は「アートか否か」の文法で語られるのに、コード書く授業でクソコード書いても誰も何も言わない。呆れてるのかもしれないけど。

 デザインに関しては導入科目ではデの字も出ないのでこの小宇宙では生存権がないのか、と思うレベルだった。寧ろクラスメイト達から「デザ科出身は社会のことを何も考えてないカッコつけ野郎」って感じのニュアンスの迫害を受けることもしばしばであるし、デザインの手法は理解できないみたいな人も多い。

 「デザイン的な視点で語ると」みたいなニュアンスでテキトーなこと抜かす人もいる。アートだけどプロダクトだっていう作品のむき出しの歯車に指を挟んだ子どものお母さんに製造物責任法で裁判に呼び出されても僕は知らない。

 でも迫害ではなく、ただ純粋に知らないだけなのだ。

 無知を責めることはできない

僕にはアートが分からぬ。

 さて、デザインを散々disられまくって、でも一緒に言い返す人もいないので正直わかってほしいという気持ちも最早あまりない。僕には逆にアートが分からないけど、分からないことは分からないと言って教えてもらうスタンスで行こうと思う。

 正直モチーフワークの最後は苦しい課題だったしIAMASは所詮メディアアートの学校」だなんて愚痴を溢したりした。あの課題に関して言えば、僕は何も言わずただ手作業する工員と化すべきだったと思う。そうすればグループ的にはいいものが作れたかもしれない。語り得ぬものには沈黙する他ない、ネガティブな意味で。他の課題は自分なりの課題設定が出来て、追求できるテーマだったけど最後の課題だけはそうも行かなかった。

 他の人がデザインに興味がないように、僕からすれば自分の制作物が(誰かのいう)アートかどうかなんて本当にどうでもいい。

 別に作家になりたいわけでもないし、でもなるべくリサイクルできない不燃ゴミ制作物は出さないようにしたい。しかも地球のためではなく、僕がなんとなく気持ちよく眠るため、自己満足だ。でも僕も話に入れてくれ、とは思う。

 

文章を書く重要性、ならびに。

 IAMASに来てから既に2ヶ月以上経過している。

 僕はtwitterでカッコつけるのが好きだし、そもそも核心をついた話をSNSでするのは粋ではないと思っている。けど、思ったことを外部に公開する必要があると考えてブログを開設するなんていう前時代的かつ狂気に満ち溢れた行動に至っている。多分聞いてほしいだけなんだけど。

 

 恐らく僕がIAMAS生を自称し、ネットで騒げばこのスモールなコミュニティに属す人たちに見られてしまうけど、それはそれで構わないし寧ろ後世のIAMAS生達に生きて来た道を示しておくべきだと思う。あと外部から来る先生方に内情をチクるという目的もなくはない。

 というより僕は未だにこの学校に困惑している。高すぎるRISTの電気代にも、換気扇からやってくる東海道本線にも、運転の荒い岐阜県民にも。当然授業にも、学校のスタンスにも。

 だからこの文章が目に留まった人は、僕に何かしらアドバイスをくれるかもしれないし、逆に君らも何を考えて毎日生きてるか教えてほしい。といった心持ちである。